“普通”という便利な言葉。
”普通”に美味しい。
”普通”にダサい。
”普通”という言葉がアタリマエに使われるようになって久しいように思います。
肯定的な意味でも、否定的な意味でも使える、とても便利な言葉です。
でも、便利だからといって乱用していいわけではないと思うのです。
そう思うわたしは、考えすぎなのでしょうか?
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だって、”普通”って人によって違う。
わたしは、3人兄弟の末っ子として、少し過保護な父とおしゃべりな母の間に生を授かりました。
ありがたいことに、両親からたくさん愛してもらいました。兄たちも、わたしを可愛がってくれました。
当然ですが、姉がいる感覚だったり、妹や弟がいる感覚だったり。そういったことは想像はできますが、体感としては分かりません。だって、わたしには兄しかいないから。
つまるところ、わたしの家族の”普通”の形はこうなります。
・両親が同居している
・両親が自分を愛してくれている
・兄弟構成は兄が2人
・兄弟仲は悪くない
この条件が全く当てはまる人は日本中を探して、全体の何%でしょうか?
これを”普通”というのは、傲慢に思えてなりません。
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“普通”の使い方には気を付けて。
結局、わたしが言いたいことはひとつだけ。
“普通”って言葉を使うとき、それが相手にも当てはまるのか、考えてほしいんです。
例えば、家族について話すとき。例えば、恋愛について話すとき。
両親が健在で愛してくれることは”普通”じゃないし、異性愛が”普通”じゃない。あくまで「多くの人が経験してるだけ」なんだよ。
アナタが無自覚に使う”普通”が、誰かを息苦しくしてるかもしれないよ?
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じゃあ、どんな言葉を使えばいい?
アナタの今までの環境の”普通”で、相手を閉じ込めないでください。
”普通”という言葉が使われるとき、なんだかマウントを取りに行っているように感じてしまいます。
”普通” = “世間一般で受け入れられていること” とも捉えられますからね。
「”普通”はこうじゃない?」「”普通”ならこうしない?」
何気ない一言がマイノリティ(=少数派)を貶めているような、そんな気がしてなりません。
”普通”なんてマジョリティ(=多数派)の力を借りないでアナタの言葉で話してよ。アナタの話が聞きたいよ。
結局、主語を「わたし」にしてしまえばいいと思うんです。
「わたしはこう思うよ、アナタはどう思う?」
「わたしはこうやって生きてきた。アナタは?」
全く同じ価値観や、
同一の環境ではないけれど、
同じ目線に立って話す。
そんな世界になったら今よりほんの少し
生きやすくなるんじゃないか。
”わたし”は、そう思います。
-ほにゃ活。-
“普通”を考えさせられる作品です。 |